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岩本照の若い頃とは?入所日から同期の絆、子役時代の軌跡を総まとめ

岩本照

こんにちは。キラメキログ、運営者の「ちまき」です。

Snow Manの絶対的なリーダーとしてグループを牽引する岩本照さん。彼の圧倒的な存在感やストイックな姿勢がどこで培われたのか、気になっているファンの方も多いのではないでしょうか。実は岩本照さんの若い頃を紐解いていくと、2006年の入所日から始まった異例のスピード出世や、今や伝説となっているオーディションでの直談判、さらには意外すぎる子役時代のエピソードなど、驚きの事実がたくさん隠されています。特に今のトレードマークである筋肉を鍛え始めた意外なきっかけや、盟友である深澤辰哉さんとの深い絆の歴史など、今の活躍に繋がる重要なターニングポイントが満載です。この記事を読めば、ひーくんが歩んできた約15年という長い下積み時代の重みと、彼がなぜこれほどまでに信頼されるリーダーになったのか、その理由がしっかり理解できるかなと思います。

  • 中学1年生で入所した直後に起きた異例の初仕事と合格秘話
  • 唯一の同期である京本大我さんや豪華な同世代メンバーとの絆
  • 「岩本ひかる」名義で活動していた子役時代からJr.初期の舞台遍歴
  • 体脂肪率4%の驚異的な肉体を作り上げた意外な敗北エピソード

 

岩本照の若い頃の軌跡!入所日や同期との絆を紹介

岩本照さんがジャニーズの世界に足を踏み入れた瞬間から、彼の伝説は始まっていました。ここでは、まだあどけなさが残る中学1年生の頃の入所エピソードや、共に切磋琢磨した大切な仲間たちとの関係性について、私なりの視点で詳しく深掘りしていきたいと思います。

2006年10月1日の入所日と直談判の合格秘話

岩本照さんがジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)に入所したのは、2006年10月1日のこと。当時、彼はまだ13歳の中学1年生でした。幼い頃からダンスを習っていた彼は、自分のスキルに絶対的な自信を持ってオーディションに臨んだそうです。しかし、驚くべきはそのオーディションが終わった後の行動。なんと、合格が出る前にジャニー喜多川氏と振付師のもとへ歩み寄り、「自分の踊りを、もっとちゃんと見てほしい」と直接交渉したというんです。この中学生離れした度胸と情熱が認められ、その場で合格を勝ち取ったというから、ひーくんの「有言実行」な性格はこの頃から変わっていないんだなと感心しちゃいますね。

さらに異例だったのはその翌日のこと。なんと、合格したばかりの翌日には横浜アリーナで開催されていたKAT-TUNのデビューコンサートに急遽出演することが決まったそうです。普通なら何ヶ月もレッスンを重ねてからステージに立つのが一般的ですが、彼はたった1日でプロの舞台に放り込まれたわけです。この「現場で即戦力として戦う」という過酷な経験が、後のプロフェッショナルな岩本照を作り上げる第一歩になったのかなと思います。まさに、「伝説の入所日」と呼ぶにふさわしい幕開けですよね。

唯一の同期である京本大我や森本慎太郎との関係

岩本照さんの交友関係を語る上で、「唯一の同期」として有名なのがSixTONESの京本大我さんです。二人は2006年入所の同期として、デビュー前から非常に深い絆で結ばれていました。京本さんは以前、「何かあるたびに二人で話し込んだり、悩み相談をしたりしていたのは、デビュー直前までずっと続いていた」と語っており、ライバルでありながらもお互いを認め合う戦友のような関係だったようです。グループは違えど、切磋琢磨してきた二人が2020年に同時デビューを果たした瞬間は、古くからのファンにとっても胸が熱くなる出来事でしたよね。

また、オーディション日は少し異なりますが、2006年10月1日組として一緒に名前が挙がることが多いのが、同じくSixTONESの森本慎太郎さんです。入所当初から期待の新人として注目されていた彼らは、常に同じステージに立ち、同じ景色を見てきました。さらに、1週間後に入所した向井康二さんや、同時期に活動していたジェシーさんとも「黄金世代」として絆が強く、特にジェシーさんとは「岩ジェ」の愛称で親しまれるほど仲良し。長い下積みを共にしたからこそ、今のグループを越えた固い結束があるんだなと感じます。

子役時代の岩本ひかる名義で出演した舞台作品

子役時代の岩本ひかる名義で出演した舞台作品

今のワイルドなイメージからは想像しにくいかもしれませんが、岩本照さんはジャニーズに入る前から子役として活動していました。当時は本名の読みと同じ「岩本ひかる」という名義を使用しており、2006年にはブロードウェイミュージカル『ピーターパン』にジョン役で出演していたこともあるんです。子役時代に培った豊かな表現力や舞台上での立ち振る舞いは、後のJr.活動においても大きなアドバンテージになっていたようです。実際、入所直後から「即戦力」として扱われたのも、この下地があったからこそかもしれませんね。

ジャニーズに入ってからも、しばらくは「岩本ひかる」名義で活動を続け、数々の名作舞台に名を連ねてきました。特に滝沢秀明さんが手掛ける『滝沢演舞城』や『滝沢歌舞伎』シリーズ、そして『PLAYZONE』など、ジャニーズの伝統的な舞台作品には欠かせない存在として重用されていました。当時のパンフレットや映像を振り返ると、今よりも少し細身で、繊細なダンスを見せる「ひかるくん」の姿を確認することができます。この時期に叩き込まれた和の所作や、アクロバットの基礎が、今のSnow Manの「魅せるパフォーマンス」の根幹になっているのは間違いありません。

ピアノや茶道に親しんだ少年時代の意外な素顔

岩本照さんという人物を語る上で欠かせないのが、その「ギャップ萌え」な要素です。実は彼は、3歳から中学3年生までの12年間、ずっとピアノを習い続けていたという本格派。小・中学校の卒業式では自らピアノ伴奏を務めるほどの実力を持っており、その繊細な指の動きや音楽的センスは、後に自ら手掛ける楽曲の振付にも大きく活かされています。クールな見た目のひーくんがピアノの前に座って繊細な旋律を奏でる姿を想像するだけで、ファンとしてはたまらないものがありますよね。

さらには高校生時代のエピソードもユニークで、茶道部器械体操部という、全く性質の異なる部活を掛け持ちしていたそうです。茶道で精神を落ち着かせ、器械体操で肉体の限界に挑む。この「静と動」の融合こそが、今の彼のパフォーマンスに宿る独特の品格と力強さの源泉なのかなと感じます。また、ボーイスカウトにも所属していた経験があるそうで、規律を重んじ、仲間を守るというリーダーシップの芽生えは、こうした多彩な習い事や活動を通じて自然と育まれていったのかもしれません。

岩本さんは、自分の名前に込められた「太陽のように周りを照らす存在に」という願いを大切にしています。その名の通り、幼少期から多才な分野に挑戦し、自分を磨き続けてきた努力家の一面が今の彼を形作っているんですね。

渡辺翔太と睨み合った研修生時代の悪友コンビ

Snow Manのメンバー同士の関係性の中でも、特にドラマチックなのが渡辺翔太さんとの出会いです。今でこそ「悪友コンビ」として信頼し合っている二人ですが、研修生時代の出会いは最悪に近いものでした。当時、入所したばかりの岩本さんがスタジオの端で座っていたところ、鏡越しに猛烈な勢いでガンを飛ばしてきたのが渡辺さんだったという話は、ファンの間でも語り草になっています。渡辺さんは当時かなり尖っていて、「自分よりダンスができる奴が入ってきた」と岩本さんを強く意識していたようです。

岩本さんも最初は渡辺さんに対して「めちゃくちゃ怖い先輩だ」と怯えていたそうですが、実は年齢を確認してみると渡辺さんが1学年上なだけだと判明。最初は敬語で話していた岩本さんに対し、渡辺さんが「タメ口でいいよ」と言ったものの、いざ岩本さんがタメ口で話すと「お前年下かよ!敬語使えよ!」と理不尽に怒ったというおもしろエピソードもあります。こうした「尖っていた時期」を共に乗り越え、酸いも甘いも噛み分けてきた二人だからこそ、今の言葉にしなくても通じ合えるような熟年夫婦のような空気感が生まれているのかなと思います。

岩本照の若い頃を総括!筋肉美や深澤辰哉との歴史

ここからは、岩本照さんのアイデンティティとも言える「筋肉」への目覚めや、切っても切れない関係である深澤辰哉さんとの物語についてまとめていきます。Snow Manという形が完成していく過程で、彼がどのような葛藤を抱え、どう成長していったのかを振り返ってみましょう。

腕相撲での敗北が筋肉を鍛え始めたきっかけ

腕相撲での敗北が筋肉を鍛え始めたきっかけ

今や「ジャニーズ随一の筋肉美」として知られる岩本照さんですが、実は本格的にトレーニングを開始したのは2013年頃から。意外と遅咲きなんですよね。そのきっかけとなったのは、出演した映画『劇場版 BAD BOYS J』でのある出来事でした。撮影の合間に共演した俳優さんと腕相撲をした際、自分が思っていた以上にあっさりと負けてしまったことが、負けず嫌いな彼の心に強烈な火をつけたのです。「次は絶対に負けたくない」という思いからジムに通い詰め、気づけば体脂肪率4%という驚異的な肉体を作り上げてしまいました。

トレーニングに対する熱量は尋常ではなく、忙しい合間を縫って週に9回ジムに通うこともあったそうです。さらに、自身の体を解剖学的な視点からも理解しようと、ステイホーム期間中に「筋トレスペシャリスト」の資格を勉強し、満点で取得するという徹底ぶり。彼は「筋肉は裏切らない」「筋肉痛は自分へのプレゼント」という名言も残しており、単なる見た目のためだけでなく、己の精神を律するための手段として筋肉と向き合っているように見えます。このストイックさこそが、今の岩本照の代名詞となり、多くのファンや後輩から尊敬を集める理由の一つになっているのは間違いありません。

深澤辰哉とのシンメ時代や氷河期を乗り越えた絆

深澤辰哉とのシンメ時代や氷河期を乗り越えた絆

岩本照さんを語る上で、深澤辰哉さんの存在は絶対に外せません。二人は2007年から「シンメ(左右対称のポジション)」として活動を共にし、ファンの間では「いわふか」として絶大な人気を誇っています。しかし、初期の頃は決して仲良しこよしではなく、お互いに牽制し合うような「氷河期」のような時期もあったそうです。転機となったのは、あるステージで深澤さんが振付師に怒られステージから外された際、「シンメのお前もだ!」と連帯責任で岩本さんも一緒に外されたという理不尽な事件。この時、悔しさと理不尽さを共有したことで、二人の間に「こいつと二人でやっていくしかない」という強い連帯感が生まれたのです。

その後、二人は同じ高校に通い、毎日同じ駅で待ち合わせをして登校し、同じ仕事場に向かうという、まさに家族以上の時間を共に過ごしました。深澤さんは岩本さんのことを「一番家族に近い存在」と語り、岩本さんもまた深澤さんを全幅の信頼を置くパートナーとして認めています。深澤さんが舞台中に倒れた際、岩本さんが誰よりも早く駆け寄り支えたというエピソードもあり、二人の絆は単なる仕事仲間を遥かに超越しています。この二人がフロントに立つ安心感こそが、Snow Manの大きな武器になっているのだと私は思います。

いわふかコンビの歴史的ポイント

  • 2007年の関ジャニ∞ツアーから本格的なシンメとしての歩みがスタート
  • 連帯責任でステージを降ろされた経験から「運命共同体」の意識が芽生えた
  • 高校3年間、毎日駅で待ち合わせをして登校するほどの親密さ
  • お互いの家族とも交流があり、プライベートでも「本物の家族」のような関係

Jr.BOYSからMis Snow Manへの変遷

岩本照さんのユニット遍歴を振り返ると、彼がいかにエリート街道を歩みながらも、デビューまで苦労を重ねてきたかが分かります。入所初期は「Jr.BOYS」の一員として、またある時は千賀健永さんとシンメを組むなど、常に目立つポジションにいました。そして2009年、ついにSnow Manの前身となる「Mis Snow Man」が結成されます。当時は今のメンバーに加え、真田佑馬さんや野澤祐樹さんらも在籍しており、大人数での活動が中心でした。アクロバットを武器にしたグループとして注目を浴びましたが、メンバーの脱退や活動休止など、不安定な時期も経験することになります。

その後、2012年5月に舞台『滝沢歌舞伎』のステージ上で、滝沢秀明さんからサプライズで「Snow Man」の名が与えられたのです。当初は6人体制(深澤、佐久間、渡辺、宮舘、阿部、岩本)でしたが、自分たちのグループ名が決まった時の喜びと責任感は、今でも彼らにとって忘れられない記憶だそうです。デビューまでここからさらに8年近い歳月がかかることになりますが、この「Snow Man」という名前を命がけで守り抜こうと決めた若い頃の覚悟が、今のグループの盤石な基盤となっているのではないでしょうか。当時の彼らは「職人集団」と呼ばれ、先輩たちから最もバックについてほしいと望まれるほどの実力派でした。

SASUKE出場へ繋がったストイックな努力

岩本照さんの代名詞の一つである『SASUKE』。彼がこの過酷な競技に挑戦し始めたのは2017年のことですが、その根底にあるのはJr.時代から続く「自分を追い込む」という性質です。彼はアイドルとして多忙なスケジュールをこなしながらも、SASUKEを攻略するために前腕や背筋を専門的に鍛え、セットを自作するほどの熱量を注いでいます。番組関係者や他の競技者からも「彼はアイドルではなく一人のアスリートだ」と認められるほど、その取り組みは本格的です。

初出場から数年間は結果が出ず、ステージから脱落した際に号泣する姿を覚えているファンも多いはず。あの涙は、単なる悔しさだけでなく、自分の限界に挑戦し続けることの厳しさと向き合った証拠でもあります。SASUKEの「4兄弟」と呼ばれるベテラン競技者たちとも親交を深め、プライベートでも一緒にトレーニングに励むなど、その輪は芸能界の外にまで広がっています。己の肉体を武器に、未開の地を切り拓いていく彼の姿は、まさに現代の「アイドル像」を更新し続けていると言えるでしょう。

(出典:TBSテレビ「SASUKE」公式サイト

振付師の才能が開花したジャニーズジュニア時代

Snow Manの楽曲の多くをプロデュースしているのは、リーダーである岩本照さんです。彼が初めて本格的に振付を担当したのは、グループ初のオリジナル曲『ZIG ZAG LOVE』でした。アクロバットとキャッチーなダンスを融合させたこの曲は、当時のファンに鮮烈な印象を与え、今のSnow Manのスタイルを決定づけるものとなりました。彼の振付の特徴は、踊る人の関節の動きやシルエットをいかに美しく見せるかという点に特化しており、メンバー一人一人の魅力を最大限に引き出す計算がなされています。

最近では自グループだけでなく、後輩グループである「美 少年」の楽曲『Flicky』の振付を担当するなど、クリエイターとしての活動の幅も広げています。ピアノで培った繊細な音の捉え方と、器械体操で得た身体の構造への理解が、唯一無二の「岩本スタイル」を生み出しているのでしょう。若い頃から「どうすればもっと自分たちが輝けるか」を考え抜き、実践してきた彼のプロデュース能力こそが、Snow Manをミリオンアーティストへと押し上げた大きな要因であることは疑いようもありません。

主な映像・舞台作品の出演遍歴

作品名役割・役名
2011HOT SNOWハヤシイサム 役(映画初出演)
2012劇場版 私立バカレア高校真嶋海斗 役(不良役がハマり役に)
2013劇場版 BAD BOYS J川中陽二 役(肉体改造の原点)
2019映画 少年たちコウタ 役(Jr.時代の集大成)
2022モエカレはオレンジ色蛯原恭介 役(単独初主演)

岩本照の若い頃が今のSnow Manを支える

こうして岩本照の若い頃を振り返ってみると、一つ一つのエピソードがパズルのピースのように組み合わさり、今の「Snow Manリーダー・岩本照」という一人の人間を形作っていることがよく分かります。入所翌日の過酷なステージから始まったプロとしての覚悟、京本大我さんや深澤辰哉さんといった唯一無二の親友との出会い、そして腕相撲に負けた悔しさを筋肉へと昇華させたストイックな精神。これらすべてが、今の彼の自信と輝きに直結しているのです。正確な情報は公式サイトをご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

長い下積み時代、デビューのチャンスがなかなか巡ってこない時期もあったかもしれません。しかし、ひーくんは決して立ち止まらず、常に「今の自分にできること」を積み重ねてきました。その努力の結晶が、今の圧倒的なダンススキルであり、リーダーシップであり、ファンを魅了してやまない笑顔なのです。岩本照さんの歩んできた道を知ることは、今のSnow Manの物語をより深く愛することに繋がるかなと思います。これからも、彼が照らしてくれる光を信じて、全力で応援していきたいですね!

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