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桐山照史の若い頃と現在|ごくせん時代から結婚までを徹底解説

「WEST.」のムードメーカーとして知られる桐山照史さん。彼がまだジャニーズJr.だった若い頃、どのような道のりを歩んできたのか気になる方も多いのではないでしょうか。

この記事では、桐山照史さんの若い頃に焦点を当て、俳優としてブレイクするきっかけとなったドラマごくせんのエピソード、関西Jr.時代に噂されたバンド活動の真相、そして現在のプライベートに至るまでを深掘りします。

さらに、ご家族との心温まる話、特に実家やお兄様との関係性、そして多くのファンが注目した元アスリートの狩野舞子さんとの結婚や、それにまつわる匂わせの噂についても、客観的な情報に基づいて詳しく解説していきます。

この記事を読むことで、以下の点について理解を深めることができます。

ポイント

  • 桐山照史が俳優としてブレイクした経緯

  • 12年間の下積みを支えた家族や仲間との絆

  • 高校・大学時代の意外なエピソード

  • 元アスリートの妻との結婚に至るまでの背景

桐山照史の若い頃|下積みとブレイクの軌跡

  • 人気ドラマごくせんで掴んだブレイク

  • Jr.時代にバンド活動をしていたという噂

  • 12年間の下積みを経て掴んだデビュー

  • 責任感から抱えた難聴との闘い

  • 俳優としての評価を高めた朝ドラ出演

 

人気ドラマごくせんで掴んだブレイク

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桐山照史さんが俳優として広く認知される大きなきっかけは、2008年に放送された大人気テレビドラマ「ごくせん 第3シリーズ」への出演でした。当時まだ関西ジャニーズJr.として活動していた桐山さんは、主要な生徒の一人である倉木悟役に抜擢されます。

この役はオーディションによって選ばれました。応募総数600人の中から書類選考で300人に絞られ、さらに面談と実技審査を経て、桐山さんは見事にその座を射止めたのです。同じジャニーズ事務所からは、後にHey! Say! JUMPとしてデビューする髙木雄也さん、そして同じ関西ジャニーズJr.の仲間である中間淳太さんも合格し、3人は「ごくせんトリオ」として大きな注目を集めました。

アイドルとしてデビューする前に、まず俳優として脚光を浴びたことは、彼のキャリアにおいて非常に重要な転機となりました。この経験が、後の俳優活動への大きな自信と礎になったことは間違いないでしょう。

 

Jr.時代にバンド活動をしていたという噂

桐山照史さんの若い頃について検索すると、「バンド」というキーワードが見られますが、彼が正式なバンドを組んで活動していたという記録はありません。この噂は、彼が関西ジャニーズJr.時代に所属していたユニット「B.A.D.」の活動に由来すると考えられます。

「B.A.D.」は「Beautiful American Dream」の略で、現在の「WEST.」のメンバーでもある中間淳太さんと二人で組んでいたユニットです。彼らは関西ジャニーズJr.の中心的存在として、歌やダンスパフォーマンスを披露していました。

バンド形式ではありませんでしたが、マイクを持ってステージに立ち、ファンを魅了する姿が、一部でバンド活動と認識されたのかもしれません。いずれにしても、Jr.時代から高いパフォーマンス能力を発揮し、関西Jr.を牽引する存在であったことがうかがえます。

 

12年間の下積みを経て掴んだデビュー

 

華々しい活躍の裏で、桐山照史さんは長い下積み時代を経験しています。2002年に13歳でジャニーズ事務所に入所してから、「ジャニーズWEST(現:WEST.)」としてデビューする2014年まで、実に12年間もの歳月をJr.として過ごしました。

当時、同世代の「Kis-My-Ft2」や後輩の「Sexy Zone」が次々とデビューしていく中、関西ジャニーズJr.はなかなかデビューの機会に恵まれませんでした。桐山さん自身も「もう僕らは(デビューは)ないのかな」と諦めかけた時期があったと後に語っています。

しかし、彼らは諦めませんでした。コンサートのMCでデビューへの想いを訴え続け、ついにはメンバー数名でジャニー喜多川社長に直談判します。一度は「甘い世界ではない」と諭されたものの、「当たって砕けてしまうかもしれないけど、それでもやらせてください」と必死に食い下がりました。その熱意が社長を動かし、ついにデビューのゴーサインが出たのです。このエピソードは、彼の情熱と行動力を象徴するものとして、ファンの間で語り継がれています。

 

責任感から抱えた難聴との闘い

 

明るいムードメーカーというイメージが強い桐山さんですが、その裏では計り知れないプレッシャーと闘っていました。彼は2014年に、ラジオ番組で自身が突発性難聴を患っていたことを公表しています。

原因は、強いストレスでした。「ごくせん」への出演で個人として脚光を浴びたものの、それが「関西Jr.」全体の人気向上に直結しなかったことに対し、強い責任を感じていたのです。「関西Jr.を代表して出ているのに」という自責の念が、彼を精神的に追い詰めました。

「耳元でヘリコプターが飛んでいるような音が聞こえたり、体中の血が流れる音が聞こえたりした」「無音がうるさすぎる」と、当時の壮絶な症状を語っています。一人でいると考え込んでしまうため、常に誰かと話している方が心が休まったそうです。この告白から、彼の仲間を想う強い責任感と、繊細な一面がうかがえます。現在は症状も良くなっているとのことで、多くのファンが安堵しました。

 

俳優としての評価を高めた朝ドラ出演

 

「ごくせん」で俳優としてのスタートを切った桐山さんは、その後も着実にキャリアを重ね、2015年にはNHKの連続テレビ小説「あさが来た」に出演し、さらに幅広い世代からの支持を得ます。

彼が演じたのは、ヒロイン・あさ(波瑠さん)の嫁ぎ先である白岡家の三男・白岡榮三郎役でした。物語が進むにつれて成長していく榮三郎の姿を丁寧に演じきり、その高い演技力は多くの視聴者から評価されました。

この朝ドラ出演を機に、俳優・桐山照史としての地位を不動のものにしたと言っても過言ではありません。2016年にはドラマ「HOPE~期待ゼロの新入社員~」で主演の中島裕翔さんの同期役を演じるなど、その後も数々の作品で重要な役どころを担い、グループ活動と並行して俳優としても目覚ましい活躍を続けています。

 

桐山照史の若い頃を支えた家族と現在の私生活

  • 桐山照史の実家は東大阪市でお金持ち?

  • 桐山照史に弟はいる?兄との仲良しエピソード

  • 幼稚園の先生を目指した高校時代

  • 桐山照史が結婚したお相手はどんな人?

  • 結婚前に噂された匂わせ投稿とは

  • まとめ:情に厚い桐山照史の若い頃

 

桐山照史の実家は東大阪市でお金持ち?

桐山照史さんは、ラグビーとものづくりのまちとして知られる大阪府東大阪市のご出身です。実家の詳しい場所までは特定されていませんが、ご本人が東大阪市にある洋菓子店「カランリーヌ」のお菓子を差し入れに利用したこともあると語っており、地元への愛情が感じられます。

実家が特にお金持ちであるという確証はありませんが、裕福な家庭環境であった可能性は考えられます。その理由として、彼の学歴が挙げられます。高校は私立の興国高等学校、大学は大阪産業大学と、いずれも私立の学校に進学しています。特に大学の学費は決して安価ではないため、ご両親が彼の学びたいという気持ちを経済的にしっかりとサポートしていたことがうかがえます。

また、小学生の頃からダンスを習っていたというエピソードからも、子供のやりたいことを応援する家庭であったことが想像できます。お父様は内装職人で、桐山さんの部屋に好きなキャラクターの壁紙を貼ってくれたという心温まる話もあります。

 

桐山照史に弟はいる?兄との仲良しエピソード

 

桐山さんに弟がいるという情報はありません。ご家族は両親と4歳年上のお兄様の4人家族です。お兄様の名前は「だいき」さんで、一般の方ですが、過去に公開された幼少期の写真では桐山さんとそっくりな顔立ちをされています。

幼い頃からお兄さんのことが大好きで、何でも真似をしていたという桐山さん。とても仲の良い兄弟であることが伝わってきます。

現在、お兄様は結婚されており、2人のお子さん、つまり桐山さんにとっては甥っ子さんと姪っ子さんがいます。もともと子供好きで、一時は幼稚園の先生になることを夢見ていた桐山さんにとって、甥っ子と姪っ子の存在は目に入れても痛くないほど可愛いようです。多忙な中でも家族との時間を大切にしている様子がうかがえます。

 

幼稚園の先生を目指した高校時代

 

桐山さんの子供好きを裏付けるエピソードとして、高校時代の進路選択が挙げられます。彼が卒業した興国高校は私立の男子校で、いくつかのコースに分かれています。その中で桐山さんが選んだのは、保育士などを目指す「キャリアトライコース」内の「保育科」でした。

「もしジャニーズに入っていなかったら、幼稚園の先生になりたかった」とインタビューで語るほど、子供と接する仕事に強い憧れを持っていたようです。

この高校時代の学びは、現在の活動にも活かされています。パーソナリティを務めるラジオ番組では、リスナーからの子育てに関する相談に、自身の知識を交えながら真摯に答える場面も見られます。アイドルや俳優としてだけでなく、一人の人間としての温かい人柄が、こうしたエピソードからも伝わってきます。

 

桐山照史さんの学歴まとめ

 

学校種別 学校名 備考
小学校 東大阪市立池島小学校 2019年に中学校と統合し、現在は義務教育学校
中学校 東大阪市立池島中学校 中学1年生の時にジャニーズ事務所に入所
高校 興国高等学校(キャリアトライコース保育科) 子供好きから保育科を専攻
大学 大阪産業大学(中退) 芸能活動と学業を両立させるも、後に中退

 

桐山照史が結婚したお相手はどんな人?

桐山照史さんは、2025年1月3日に結婚したことを発表しました。多くのファンに衝撃と祝福をもって迎えられたこのニュースのお相手は、元バレーボール女子日本代表で、現在はタレントとして活躍する狩野舞子さんです。

狩野さんは、185cmの長身を活かしたアタッカーとして国内外のリーグで活躍し、2012年のロンドンオリンピックでは、日本代表チームの一員として銅メダル獲得に貢献したトップアスリートです。現役引退後は、その明るいキャラクターと的確な解説で、スポーツキャスターやタレントとして幅広く活動しています。

お二人の馴れ初めの詳細は公表されていませんが、報道によると共通の知人を介して知り合い、交際に発展したとされています。アイドルとトップアスリートという、それぞれの世界で活躍してきた二人の結婚は、大きな話題となりました。

 

結婚前に噂された匂わせ投稿とは

 

お二人の結婚発表前、一部のファンの間では交際を「匂わせている」のではないかと噂される投稿が話題になったことがあります。

例えば、お互いのSNSに投稿された写真に、お揃いと思われるアクセサリーが写っていたことや、同時期に似たような場所を訪れているかのような投稿があったことなどが挙げられます。また、お互いが飼っているペットの写真などから、関係性を推測する声もありました。

もちろん、これらはあくまでファンの間での憶測であり、偶然の一致であった可能性も十分に考えられます。ただ、このような噂が立つほど、お二人が多くの人々から注目されていたことの表れとも言えるでしょう。現在は公認のカップルとなり、多くの人々から温かい祝福を受けています。

 

まとめ:情に厚い桐山照史の若い頃

 

この記事では、桐山照史さんの若い頃の軌跡と、それを支えた人々との関係性について詳しく見てきました。最後に、本記事の要点をまとめます。

  • 桐山照史は2008年のドラマ「ごくせん」で俳優としてブレイクした

  • Jr.時代のユニット「B.A.D.」での活動がバンドの噂に繋がった可能性がある

  • ジャニーズ事務所入所からデビューまで12年間の下積みを経験した

  • デビューはメンバー数名でのジャニー喜多川社長への直談判がきっかけ

  • 当初4人だったデビューメンバーに他の3人を加えるよう再び説得した

  • 強い責任感からくるストレスで突発性難聴を患った過去がある

  • 現在は快方に向かっていることをラジオで公表している

  • 2015年の朝ドラ「あさが来た」出演で俳優としての評価を確固たるものにした

  • 出身地は大阪府東大阪市で、地元愛が深い

  • 私立の高校・大学に進学しており、裕福な家庭だったと考えられる

  • 家族は両親と4歳年上の兄の4人家族で、弟はいない

  • 子供好きで、高校では保育科を専攻していた

  • 2025年1月3日に元バレーボール日本代表の狩野舞子さんと結婚

  • 結婚発表前には、ファンの間でSNSでの匂わせが噂されたこともあった

  • 仲間や家族を何よりも大切にする、情に厚く責任感の強い人柄である

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